仕事での海外出張26

香港も18回目の出張になると、国内のライセンス生産で得た生産の概要的な知識が生きてきました。香港で女性用のレザーパンツを注文する場合、型紙は欧米人向けはV型ですが、日本人にはU型が必要で、時には日本の顧客から型紙を頂いて、香港のメーカーに持参することもありました。

仕事での海外出張25

香港の出張も通算9回目の1981年には、香港からの輸入取引3.4億円、ロシアからの原皮輸入代行3億円、国内のK社のライセンス生産3億円と数字が、計9,4億円となり、利益がまだ少ないですが、何とか輸入繊維部で生き残りができました。

仕事での海外出張24

香港からの輸入代行で数字を作りつつ、イタリア時代の輸入専業卸各社に声をかけて、香港にきてもらいました。興味を持ってもらうために、刺繍を生かしたシルクブラウスや、セーターを生産しているメーカーを事前に何回も訪問して、メーカーの件数を揃えて、輸入専業卸各社との香港からの輸入ビジネスをスタートしました。

仕事での海外出張23

イタリアへの出張は、パニック症を抱えていては、長距離の出張は困難ですので、より距離の短い香港からの輸入で成績を出すことに、会社での生き残りをかけました。先ずすでに香港から輸入している、東京のN毛皮店、日本のデザイナーの香港輸入に、輸入代行(商品リスクゼロ、利益は少ない)取引で数字を作っていきました。

仕事での海外出張22

香港からの輸入は、イタリアからの輸入と180度違うことがわかりました。イタリアのメーカは社内デザイナーがいて、その作品を購入するので、発注数も50枚ぐらいでOKですが、香港は顧客の企画・サイズを受け取り生産するため、日本から何を作るか企画書の持参が必要で、生産のミニマム数も300枚以上でした。いわゆる工場の立場です。このギャップを埋めるため、当面シルクブラウスとセーターで挑戦してみました。

仕事での海外出張21

香港に3回出張した後、担当のA社の、ローマのファッションデザイナーとの独占輸入販売契約が煮詰まり、1980年9月にローマに訪問して、契約が無事締結、その後A社の顧客が読売テレビの関係者と懇意にしており、ファッションデザイナーの会社L社も、日本各地でのテレビを通じてのファッションショーで日本での知名度をあげたく、日本での主要都市でのファッションショーが実現しました。

仕事での海外出張21

新部長の指示で、将来香港・中国が大事になるので、所属していた輸入洋品課全員に一度香港を訪問擦るように言われました。これが転機で遠方のイタリアに、飛行機恐怖症と戦いながら、出張していましたが、1980年の5月から、1991年まで、約150回香港の仕事に従事することになりました。

仕事での海外出張20

イタリア9回目の出張は、1980年3月15日から17日間、客と一緒にフィレンツェで仕事を終えて、汽車でミラノに帰ろうとした時、事故か何かで不通となっていて、客および別グループの日本人団体と話をして、運転手付きのミニバス20人乗りをチャーターして、4時間かけて夜10時にミラノの帰りました。

仕事での海外出張19

9回目の海外出張は、AIR FRANCEの飛行機のパリ到着が遅れ、翌日のミラノ行きの飛行機に乗るか、ニースまで同日飛行機に乗り、ニースから7時間かけてバスでミラノに移動するかの選択でした。バスでの移動を選びました。バスでは、アラスカツアーのイタリア人と同乗で、ワインを薦められ、陽気なバスでの移動になりました。

仕事での海外出張18

8回目のイタリア出張は,1979年2月3日から27日間行きましたが、義兄の車で自宅を余裕を持って午後2時に出発、通常車で1時間半で十分伊丹空港につきますが、当日は高速道路で7回の渋滞で、夕方6時発のAIR FRANCEに搭乗予定が、大幅な遅れで、なかば諦めていましたが、5時50分に到着、AIR FRANCEのスタッフの案内で、滑り込みで搭乗できました。ラッキーなことには、パリまでファーストクラスで乗れ、最高の気分で飛行機の旅が満喫できました。